History
慶徳会の歴史

Performance 慶徳会と藤井三先生の業績

藤井教恵先生
【創設者・初代理事長】
(1901~1977年)

報恩感謝の仏教精神に徹した日常

  慶徳会の社会福祉事業は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)慶徳寺の藤井教恵住職と坊守の静野先生が昭和6年(1931年)に、農繁期にまとわりつく子どもたちをもてあましている母親の姿を見て、お寺を開放して農家の皆さんに役立てようという気持ちから、託児所を開設したのが始まりです。

  その後も仏教の精神的基盤のもと、保育園や母子寮、戦後は児童養護施設そして養老院(現養護老人ホーム)と社会的に支援を必要とする方を対象とした事業を拡充しました。また、30有余年にわたって、民生・児童委員も務め、常に地域の人々との触れ合いを深め、仏教者として人間的共感を味わい、「常行大悲の実践者」として皆様から慕われながら活躍しました。

 

  「教恵住職は、言葉少なくして率先垂範する実行の人でした。お勤めが終わると法衣を脱いで、手には念珠に替えて鍬を持ち、当時の食糧事情からひもじい思いをされているご入所者のために汗を流し、あるいは木造の建物の修理や補強にのこぎりを引きハンマーを握っている姿が印象的でした。朝早くから夜遅くまで身を粉にして働き、文字どおり報恩感謝の仏教精神に徹して今日の基盤を作ったのです」とは、当時の大西一夫常務理事の言葉です。

 

  昭和52年に多くの方に惜しまれつつ、往生の素懐を遂げましたが、その命日の15日(1月)を「創設者の日」と定めて、その遺徳を偲び事業精神を継承すべく法要を勤修し、半世紀にわたり、築かれた伝統を語り継いでいます。

 

  また、慶徳寺本堂が火災で焼失したことに伴い、教恵住職は、北春日丘に用地を確保し、私費で本堂を再建、住職が私淑する第13代住職常観和上にちなみ、「常観堂」と名付けられましたが、その後元の敷地で門信徒によって再建されることになりましたので、「常観堂」は、真華苑の「地域集会所」として寄付を受けています。

静野先生
【創設者夫人】
(1907~1979年)

「お母さん」と慕われた生涯

  「子どもたちからは「お母さん」と慕われ、その「お母さん」に手を握られながら、多くのお年寄りが安らかにお浄土に旅立たれ、その慈愛に満ちた「お母さん」こそ、在りし日の藤井静野です。昭和18年に皇后陛下のご内旨を奉じて秩父宮妃殿下ご台臨の栄に浴された時、「おのが身はかえりみずして人のためつくすは人のつとめなりけり」と明治天皇御製を拝誦して、殿下は大いに感激されたと言われています。(大阪府社会福祉協議会編「大阪の社会福祉を拓いた人たち」から)

 

  住職と協力して地域福祉に先鞭をつけましたが、事業の拡充についてはむしろ、静野先生が熱心であったと伝わっています。社会的に最も厳しい生活環境に置かれている方々を対象とする公的支援事業のみならず、制度対象外の高齢者のために私財を投じて有料老人ホームを開設するなど、時代の要請に応じて安住の場を提供しました。

 

  「どんなに暑い日でもキチンとした和服姿で汗を一杯かきながら子どもたちの布団づくりや祭りの前などには、徹夜で子どもたちの浴衣を仕立てたりされる姿が目に焼き付いています」(大西元常務理事談)

 

  また、念願の軽費老人ホーム真華苑の建設についても私財も投入しながら整備を進めましたが、その間に体調を崩し、入院療養中も苑の仕上げに最後まで気配りされながら、開所目前にして、昭和54年4月に息を引き取るという悲しい結果となりました。ご利用者・職員を始め深い悲しみに包まれる中、葬儀に参列して頂いた茨木市長からは、「私は今、郷土茨木をこよなく愛し、地域社会の福祉向上にひたむきなご努力ご尽力をされた刀自のご意志とその遺徳を胸に体し、市政を預かるものとして、より一層の精進を重ね、努力を傾注することにより、刀自のご功績に報いなければならないと、心新たに決意し、ご霊前にお誓いいたす次第であります。」とご丁重な弔辞を賜りました。

了貞先生
【第2代理事長】
(1912~1988年)

行政分野でも手腕を発揮

  初代理事長逝去に伴い、理事長に就任(慶徳寺住職も継承)し、静野先生の意向を受け止め、真華苑を開設したことを始め、人口の高齢化が進む中、高齢者福祉が入居から在宅サービスへ軸足を移そうとする流れを読み取り、茨木市初(大阪府内5番目)となるデイサービスセンター静華苑の開設やその一方で待機待ちが膨大となっている特別養護老人ホーム春菊苑の竣工など、創設者夫妻の意思を受け継いで、まさに法人理念である「時代に即応した」事業を拡大しました。

 

  この間、了貞先生は、夫妻の半世紀にわたる社会貢献の遺徳を偲んで「慶昌堂」を私費を投じて建立し、堂内には夫妻が受けた顕彰の品などを展示しています。了貞先生が慶徳会を着実に発展に導く中、法人の社会的評価に大きく寄与した事として、「大阪社会事業経営協会」のメンバーとして社会福祉施設事業所にかかる「経営論」の取りまとめと発表を行い、この発表が基となって、「社会福祉施設職員就業規則」の準則が作成されるに至り、その後の労務管理に大きな役割を果たした点が挙げられます。その後、各種の研修講師しての活躍は勿論、龍谷大学短期大学部教授(後に学部長)等として「施設経営管理」の講義を担い、これらの活躍が認められて、昭和41年から国の「中央児童福祉審議会」委員として日本の社会福祉発展に寄与しました。

 

  また、昭和42年に任命された茨木市教育委員から同46年には教育委員長に選任され、行政手腕を発揮しました。「大阪の社会福祉を拓いた人たち」は、了貞先生の業績を次のように結んでいます。慶徳会の飛躍的な発展はもちろん、茨木市教育委員長としての行政手腕、大学教授としての卓越した先見性、宗教家としての幾多の業績など枚挙にいとまがないが、後年、藤井が叙勲を受けた時、一隅を照らす足跡を残せたらと、宗教家として当然のことをしてきただけですと言葉少なに新聞記者に語っていた毅然とした姿は、明治生まれの社会事業家として面目躍如たるものがあった。また、近代化研究が「毎日社会福祉彰」を受賞した時、「社会福祉の歴史において最も古い大阪で、最も新しいことをやったとほめられ、いい励みになりました」との感想は、後に続く我々に対して示唆にとんだ言葉として、今一度よくかみしめ味わうべきであると思う。

History 慶徳会のあゆみ

1931年 昭和6年

「慶徳寺農繁期託児所」開設

1932年 昭和7年

「常設保育所」開設

1933年 昭和8年

「母子健康相談所」開設

1942年 昭和17年

「上野農繁期託児所」開設

1947年 昭和22年

財団法人「慶徳寺善隣館」認可

1948年 昭和23年

「子供の家」事業開始

1951年 昭和26年

西本願寺大谷光照ご門主ご視察「慶徳寺光華寮」(老人居住施設)と命名

1952年 昭和27年

社会福祉法人「慶徳寺善隣館」への組織変更認可

1958年 昭和33年

有料老人ホーム「春菊荘」事業開始

1962年 昭和37年

「茨木老人ホーム診療所」新築

1970年 昭和45年

養護老人ホーム「慶徳寺光華寮」新築

1974年 昭和49年

「常観堂」事業開始

社会福祉法人「慶徳寺善隣館」から同「慶徳会」に名称変更

1977年 昭和52年

藤井了貞理事が第二代理事長に就任

1978年 昭和53年

「養育センター」新築

「茨木市在宅重度障害児緊急一時保護施設」事業開始

1979年 昭和54年

軽費老人ホーム竣工式、大谷光真ご門主ご臨席され「真華苑」とご命名

1980年 昭和55年

「慶昌堂」落成

常観堂を「真華苑」集会所として認可

1982年 昭和57年

「慶徳寺 子供の家」が「慶徳会 子供の家」に、「光華寮」が「光華苑」に名称変更

「子供の家」北春日丘へ新築移転

茨木市デイサービスセンター「静華苑」事業開始

1983年 昭和58年

「春菊荘」新館事業開始

1984年 昭和59年

「光華苑」大社協から優良表彰

「真華苑」大阪府知事から優秀給食施設として表彰

1986年 昭和61年

特別養護老人ホーム「春菊苑」事業開始

1988年 昭和63年

藤井了貞理事長往生  遺言によりゲストハウス及びマンション「ローズハイツ茨木」の寄贈を受け事業継承

西田治理事 第三代理事長に就任

1993年 平成4年

「在宅サービス供給ステーション 静華苑」事業開始

「在宅サービス供給ステーション静華苑」及び「春菊荘」本館竣工

1997年 平成9年

「茨木市立西河原老人デイサービスセンター」(西河原デイ)運営受託

1998年 平成10年

「慶徳会人権問題研修会」開催

1999年 平成11年

「慶徳会人権問題研修会」開催

2001年 平成13年

苦情解決委員会開催

2002年 平成14年

「子供の家」の「はなのいえ親子訓練室」整備事業完了(国・府補助事業)

「光華苑」大規模修繕完了(国・府補助事業)

苦情解決委第三者委員第1回研修終了(全4回)

2003年 平成15年

特別養護老人ホーム入所者判定会設置

2004年 平成16年

社会貢献事業開始(大阪府社会福祉協議会老人施設部会事業)

2005年 平成17年

慶徳会グラウンド隣接土地・家屋購入 子供の家心理療法室として暫定利用

2006年 平成18年

「フォスターホーム」(地域小規模児童養護施設)開設

茨木市コミュニティーソーシャルワーカー(CSW)配置「静華苑」・「常清の里」

「ヘルパーステーション光華苑」事業開始

2007年 平成19年

産前産後ホームヘルパー派遣事業開始(常清の里)

小規模多機能センター「ききょう」開設

2008年 平成20年

茨木市地域包括支援センター「常清の里」開所

府営住宅のLSA派遣事業受託

2010年 平成22年

「子供の家」心理療法棟整備

「静華苑」三食(朝・昼・晩)配食サービスに拡大

小規模多機能センター「なでしこ」開設

2011年 平成23年

「ホームヘルパー養成講座」開設

2012年 平成24年

「養育センター」児童デイサービス(後に放課後等デイサービス)事業開始

「慶徳会障がい者相談支援センター」開設

2013年 平成25年

「しみず」民営化に伴い「障がい者サポートセンターしみず」として運営開始

ヘルパーステーション統合(常清の里・静華苑)

「しみず」生活介護事業開始

2014年 平成26年

「ケアプランセンター常清の里」を「静華苑ケアプランセンター」に統合

「春菊荘」本館を小規模多機能センター「ききょう」に転換

2015年 平成27年

西田治理事長勇退、後任に大和治文第四代理事長就任

3ケアプランセンターを統合し「慶徳会ケアプランセンター」として発足

「訪問看護ステーション静華苑」開設

サービス付き高齢者向け住宅「見付山めぐみの里」開設

「慶徳会福祉用具サポートセンター」開設

2017年 平成29年

「評議員選任委員会」初開催

「慶徳会マラソン大会初開催」(万博外周道路25名参加)

「第一回事業所説明会」開催

社会福祉法改正による理事会・評議員会スタート

2018年 平成30年

「訪問型サービスA」事業所指定

2019年 平成31・令和元年

「慶徳会災害対策マニュアル」策定

旧「養育センター」スペースを「子供の家」児童居室・リビング等に改修

2020年 令和2年

「静華苑」デイルームリニューアル(定員35名⇒40名)

2021年 令和3年

「茨木・中条地域包括支援センター」開設

大和治文理事長退任、後任に山田健一郎第五代理事長就任

創立90周年記念大会(リモート・映像により発表)